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昔の白黒写真をカラーにしてみる [写真]

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昔の白黒写真をカラーにしてみる
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飯能大通り1.jpg
飯能大通り1(大正初期)


飯能大通り2.jpg
飯能大通り2(大正後期)


岩根橋.jpg
旧岩根橋 (明治後期)
  この橋は明治26年に小山源三郎により設計されて八尺淵に架けられた。  
  秋櫻子の句に 「秋晴れや釣橋かかる町の中」とある


飯能分署開署式.jpg
川越警察署飯能分署開署 (明治40年)


川越警察署飯能分署.jpg
川越警察署飯能分署 (明治40年)


畑のトンネル開削.jpg
畑トンネル開さく(明治42年)


大洪水の名栗川.jpg
明治43年8月 名栗川大洪水の光景


飯能河原町の惨状1.jpg
明治43年8月飯能河原町大水害の惨状1


飯能河原町の惨状2.jpg
明治43年8月飯能河原町大水害の惨状2


飯能河原水害復旧工事.jpg
明治43年飯能河原の水害復旧工事


名栗川の天然氷.jpg
明治43年後の名栗川 平安の光景(岩根橋下流)
  明治から大正初期まで天然氷が採取された。


架橋中の高麗橋.jpg
架橋中の高麗橋(通称横手の吊り橋)明治33年


高麗橋開通式1.jpg
高麗橋の開通式風景1 (明治34年1月8日)


高麗橋開通式2.jpg
高麗橋の開通式風景2 (明治34年1月8日)


能仁寺.jpg
能仁寺 (大正中頃)


三座稲荷神楽殿改築記念.jpg
三座稲荷神楽殿改築記念 (大正11年8月15日)


三座稲荷.jpg
三座稲荷 (昭和初期)


川越中学富士登山.jpg
富士登山 川越中学山岳部(旧制・現川越高校)
     (大正11年7月25日)


高齢者表彰式.jpg
天皇皇后両陛下銀婚式記念90歳以上高齢者表彰式
      (大正14年5月10日)


消防訓練.jpg
飯能消防組消防訓練 (大正後期)


大正御大典祝.jpg
奉祝御大典 武州飯能町通三丁目 (大正4年)



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日華事変・北支からの便りと写真帳(No,3) [写真]

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 近衛工兵連隊倉田部隊小山隊(第一小隊)隊長の陣中便りと写真帳(NO,3)
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  『小山次郎様 宛』

   先日来、ご奮闘感謝致候

   当方目下第一線戦列部隊にて活動中、異常なし

   爾今、当分の間音信を絶つべく候

   厳寒の候ご自愛を祈る。各位に宜敷く

   明晩は恐らく露営になるべし。

     昭和十三年二月十一日夜

        北支陣中にて 小山太郎



  『小山次郎様 宛』

   目下山西の山の中を進軍中。

   今度は電信隊の仕事で毎日電線を伸ばしつつ行軍です。

戦場の電話.jpg



   こちらは既に寒気は去り外套無用。昨夜は夜行軍。

   十五夜の中、折から山頂に出で、其の景色筆紙に盡し難き

   ものがありました。全員異常なし。

   これより約一か月は発信不能なり。目下既に受信不能。

   内地は未だ寒いでしょう。ご自愛を祈る。各位に宜しく。

         昭和十三年二月十六日

             北支派遣加納部隊本部

               倉田部隊小山隊 小山太郎



  『小山次郎様 宛』

   目下邯鄲の基地にて待機中。

   彰徳南方、河南山西の天険部と小隊は二つに別れて行動。私は主力を以って山の方へ同甫

    線方面の大討匪に加わりました。彰徳組にて一名、私の方で指揮下にあった輸送隊特務兵

   三名を負傷せしめた。其の外残敵と天険との難行にも一同無事。

河南の山中.jpg

  写真の裏書き:二月十七日 河南(大行山脈)の山中、谷渡り難行中




   陸軍記念日には幸一同の終結を終って、邯鄲で東天を拝した。

   近く第二行動開始の為、暫くこの地に待機。前進か、後進か知る由もなし。

   各方面にも全くご無沙汰に終った事、予告していた通りです。大木先生の子供衆の慰問

    袋、喜美重、沼田の純子、巣鴨の叔母、広島の照山さん、三丁目有志等よりの慰問袋、

    何れも山となりて襲来。内容いずれも甘すぎて閉口気味。照山さんと喜美重さんの海苔

    はよし。大木組のウイスキーは子供ながら天晴。指導者のよろしきを思はしむ。先生に

   よろしく願います。湟埜の尊父さんに、和歌の礼を言って下さい。大変うれしく拝見し

   ました。

   未整理の各方面よりの書状山積して出し様なく困っています。

   小隊より内地還送の傷病者次の通り

    大阪ふ西河内郡金岡村大阪陸軍病院 金岡新分院九番病棟第十一号 小久保利三郎

    神奈川県川崎市南小田町九七 中島多喜代(妻)         中島晴吉
                 よく私へも手紙を下さる人です。

     千葉県銚子市川口町一ノ一〇九一五 竹内タヅ(妻)        竹内吉藏

  今回の戦傷者

   東京市本所区江東橋二ノ十四 當麻つや(妻)           當麻藤吉
       (彰徳南方にて敵と渡り合い左膝下に切創を受く)  

   神奈川県足柄上郡吉田村 県立農林学校一年生 當麻富士雄(長男)

      田中先生、山田正子先生、金子セイ先生よりお便り頂きました。

       急用が出来たから、これで打ち切ります。
   
                    昭和十三年三月十一日

                             北支派遣加納部隊本部

                               倉田部隊小山隊長 

                     皆様によろしく


最後の発信.jpg

  戦死5日前の中隊長宛て最後の発信



   三月三十一日早朝、第五兵站自動車隊の護衛として便乗し潞安への軍需品輸送の帰路、

   河南、山西両省堺東洋関東地区?堂舗附近の山岳地に於いて我に十数倍ある敵第八路軍

   主力約三千の重囲に陥り応戦すること四時間半、不幸敵弾の為胸部外数カ所銃創を受け

   戦死す。

   行年三十五歳。



响堂舗戦闘地1.jpg

  响堂舗戦闘地の山岳地帯


响堂舗戦闘地2.jpg


响堂舗戦闘地3.jpg


响堂穂戦闘地4.jpg

  激戦の跡


摘出された敵弾.JPG

  摘出された敵弾






   『小山かよ様 宛』

   今から十三年年も前,志願兵の星一つから、共に語り、共に学び、喜びも悲しみも、重たい

   物は助け合って持ち合った。私は懶惰であった。だから、太郎君はよく怒ってさえ私を励

   ました。今度の出征に於いても、どんなに二人が一緒な事が力になり合えたか。たとへ

   任務が所を異にしていても、お互いに気にし合って、比較的、ながく一地に駐って居た

   私は鶏だの、菜っ葉だの、豚だのを言づけて届けたものです。とても喜んで呉れて、

   親しい便りを呉れました。

   時々、石家荘あたりで落ち合って一杯やりました。この頃は酒が強くて、とても相手に

   不足ら しかったが、私は深酒を戒めた。

   「我友は桜の花と散りにけり」 何と申し上げていいやら、華々しい御最後でした。

   山近き里に桜を求めて、仏に手向けんとすれば花は散る春の陽に。

   私は泣けて来ました。又繰り言ですが 「我友は桜の花と散りにけり」

   彼が山嶽重々たる長城線附近に部下を叱咤して武人としての華々しき奮闘、衆力敵せず、

   残念な事でしたでせう。太郎君はどんなに歯がゆい残念さの理に護国の鬼になられたで

   せう。

   私はその任務に交代を申し出ました。彼のためにも恨みを晴らす覚悟です。心からの

   二人であった彼だけを黄泉の彼方にやりたくはない。生還は期せざりし二人だった。

   思い出せば限りもない。汽車の中、船の中、昼となく、夜となく、暑熱に、酷寒に、

   転戦に過る年の十二月に私が敵弾に倒れた時も、どんなに心からなる看護をして呉れ

   た事か。慰めと勇気づけの言葉の限りを語る太郎君の姿が未だ私の瞳に消えない。

   赤羽の連隊に於いても、二人して写真を撮りました。広島に来て厳島神社でも二人

   並んで、鹿を相手に撮りました。二人して武勇の長久を祈って帰って来た。

   私は敵弾に傷つき、太郎君は戦死した。何をか云わん。戦場の常とは言え、良き友、

   竹馬の友を失って悲しみはとても深い。二人が仲良しで居ただけに、二人の部下の

   親しみも深かった。

   親類交際の様に「お前のところのおやじ」「第二小隊のおやじ」心安く兵隊は語って

   居ました。

   九か月の月日のさ中に互いに交した友情は何にも優れたこの世の華でした。

   忘れ難い戦場の友情! 今は居ない 太郎よ! 太郎よ!

   私は昨日、戦死の知らせも知らず石家荘の中隊に来ました。いつもと何の変わった事

   も無い気持ちで。私は愕然とし、敵には強い私でしたが、倒れそうになりました。

   私は現地に直ぐ行く筈でしたが、命令が許しません。私は巡察将校として正定縣に行か

   ねばなりません。私と二人で撮った写真を取り出して見て下さい。

   私は今、中隊長殿を急き立てて、現地に行って頂きました。

   私の落ち着かない気持ち、嵐の様に迫って来る悲しみ。静かなる心の暴風。

   とんだ事でした。お悔みのまことを、とても言葉が拙くて表わせません。お許し下さい。

         四月三日

                  第二小隊長  坂倉少尉

      小山かよ 様





   『小山かよ様 宛』

   前略

   陳者、未だ御面接の栄を得ませんけれ共、私共は故隊長殿を父母とも仰いで参りました

   小山隊の者共であります。

   去る三月三十一日、隊長殿には河南省渉県响堂舗附近に於いて大挙襲撃せる敵第八路軍

   及騎兵第四師を相手と致され小隊を指揮中終に平素の御決心通り我が皇軍の華として

   名誉の戦死を遂げられました事は我ら一同何と申し上げて宜しきやら御慰めの辞に苦し

   む所であります。

   主従は三世とか二つなき隊長殿を失い,また華々しき死出のお供仕りました十一柱の戦友、

   嗚呼我等の心中もーーー

   我小山小隊が邯鄲第五兵站支部の要員として石家荘を出発致しましたのは三月二十三日

   午後九時でした。出発当時我等に下されました御訓示は四囲の情勢から推察して大分

   危険が伴うから各人は充分緊張の上にも緊張せる様にと申し渡されました。後から考え

   て見まするとご覚悟の程がうかがわれます。

   翌二十四日午前七時邯鄲着。直ちに自動車部隊に配属を命ぜられ、同日は旧宿舎に入り、

   二十五、二十六、二十七、二十八日と待機致しまして、二十九日に各分隊は各所属せら

   れました自動車部隊に便乗邯鄲西南方約二百キロの潞安へ第一線部隊用の軍需品を積載、

   午前七時半勢揃いしまして、前記潞安へ向け出発しました。

   嗚呼思えば此れが永久のお別れとは、いかに戦場の習い慣とは云え誰が予想も致しませ

   うか。而して同日は午後三時、第一日の日程地たる渉県へ一泊致しました。

   この地方(殆ど潞安迄そうですが)は総体山亦山が重塁致して居ります。所謂山岳地帯

   でありまして、我等が通過致します道路は河の底の石ころがゴロゴロ横たわって居て、

   雨季に入りますと河水が物凄い勢いで流れる相でありますから両側に点在せる部落も

   皆道より約五、六十米も上にあります。

   翌三十日七時渉県出発。同日午後二時目的地?安へ着きました。途中敵の襲撃を予期

   しましたが、何の事もなく一同元気でありました。而して同所へ各軍需品を車下し、

   午後四時出発。黎城へ午後八時着。同所へ一泊。

   翌三十一日午前七時出発。河南省と山西省の堺を画する万里の長城を通過約一キロ程

   に進みますると道路傍に有ります軍の電話線が電柱共滅茶苦茶に破壊せられて居ります。

   ソレで或る予感をいだきつつ一同緊張の上にも緊張しまして午前九時頃でしたか响堂舗

   村落を通り過ぎますと左方に吃立致します約七百米位の山頂より突如一声ラッパと同時

   に二発の銃声が聞こえました。スワ敵襲と一同自動車上より飛び降り応戦しました。

   応戦しています内に敵は左右の高地より刻々に勢力を増加、銃丸は雨霰の如く飛来しま

   した。

   何分にも丁度擂鉢の底より応戦しました事故地形上我に不利でありまして、敵は我に

   十数倍終に响堂舗の露ときへられましたる事は返す返すも残念至極の事でありまして、

   ご家族様は勿論、御一門方々の御心中さぞやと深く深く御推察申し上げます。

   隊長殿の血汐は北支の夕陽に照らされ、畏くも

   大元帥陛下の御命の侭、東洋平和の礎として其名は永久に軍の青史を飾り我等が祖国

   大日本帝国の栄へ行く姿を見まわれるでありましょう。

   而して御遺骸は我等の手に依り同日夜、渉県へお運び申し上げて火葬を四月二日午前

   八時と定められました。

   四月二日準備の関係上、午後三時三十分から火葬に附し申し上げました。

   翌三日午前六時三十分お骨上げ、同日午前八時渉県西方約1.5キロの地点、道路左方の

   小丘に(响堂舗戦闘戦没者英霊合祀之碑)の墓標建立しまして御分骨を埋骨致しました。

响堂舗戦戦没者の碑.jpg

  响堂舗戦闘戦没者英霊合祀之碑




   将来は此所に忠霊塔が建設せられる事と思われます。嗚呼英霊永久に鎮まりませ。

   而して七日午後四時、渉県出発、翌八日午後十二時三十分頃邯鄲の宿舎に帰還致しま

   した。かねて設けられた祭壇上に英霊を御安置申し上げました。毎日交代交代でお通夜

   (衛兵附きにしてあります)して御傍に供奉致して居ますから何卒ご安心下さい。

   尚今月末他部隊の英霊と共に当邯鄲に於きまして合同慰霊祭を執行後石家荘へ奉遷致す

   予定であります。

   実は早速ご報告申上げなくてはならなかったのでありますが、何を何からして良きやら

   気も落ち着かず、又其の他の任務もありまして心ならずも今日まで延引致して居りまし

   て、何共申し訳もありません。平にご寛容下さい。

   尚御送付致しました金圓(金二十参圓五銭也)甚だ僅少でありますが、ご受納下さり

   たく願上ます。

   右金額の内金拾圓は第二小隊長坂倉理喜雄殿、六圓七拾五銭は第二小隊各位の御志ざ

   しでありますから左様ご承知下さい。

   第一小隊は小沢菊次郎曹長以下四十六名であります。

   心身やっと落ち着きました昨今、折からの月明追憶がそれからそれと走馬燈の様に現れ

   まして追っても追い切れず征衣の袖を濡らした夜も幾度か、嗚呼中隊の右翼小隊長とし

   て全中隊の敬慕を一身に集められし隊長殿の雄々しき姿、清濁併せ呑むの気風、小事に

   拘泥しなかった。

   どんな事でも我等の云った事は相談に乗って下された等々。今や其の隊長殿なし、

   嗚呼ーー


      武士のかねての道と悟りしつつも尚しのばるる君がおもかげ  讀人不知

      黄昏や亡き隊長の魂訪へば先立つものは涙なりけり      讀人不知

   
   末筆乍らご家族様ご一門方々に宜しく御鶴声の程願上ます。

                         倉田部隊故小山隊員

       小山かよ 様


邯鄲に於ける慰霊祭.jpg

  邯鄲に於ける合同慰霊祭

 
小学校での葬儀1.jpg

  町の小学校における葬儀


小学校での葬儀2.jpg


祭粢料.JPG

  祭粢料


説経節.jpg

  説教節 (作詞 山岡遺們 鐡人 、作曲 若松國士大夫)


岩城自動車隊隊長書.jpg

  第五兵站自動車隊隊長 岩城庄助書
          




為 武光院顕忠義雄居士菩提

 小山太郎君は昭和12年7月事変勃発と共に応召、近衛工兵連隊倉田部隊第一小隊長として勇躍

 征途に上り、その戦線に立つや第16師団兵站司令部附となりて、道路に橋梁に爆破に偵察に

 よく工兵の本領を発揮しつつ第一線部隊と共に固安、保定等の堅塁を抜き、保定に於いては

 諸部隊に魁して入城するの光栄に属す。その後、第一軍兵站監部附となり、更に定縣、新楽、

 東長寿、正定、石家荘と出で、太原戦に加わり賛皇に至り此處にては小隊を率いて一個師に

 余る敵の包囲を破り友軍の急を救う等健腕を揮したるも、その後、命により石家荘にとどま

 り陣地構築に警備に討伐に一日の寧日もなく、特に同地都市計画に基ずく循環道路構築には

 よく能を発揮す。昭和13年2月山西の残敵掃討の陣を進むるにありては第五兵站自動車隊の

 隷下に入り一ケ月に余る討伐戦にもよく工兵の本領を発揮して勇敢なる行動を認められ三月

 下旬再び邯鄲にて命を受けて山西省潞安に至る軍需品の輸送自動車の護衛として便乗、任を

 果たしての帰路、河南省响堂舗の山岳地帯に於いて俄かに十倍に余る敵の襲撃に合い直ちに

 応戦よく応戦すること四時間半遂に胸に数弾を受けて壮烈なる戦死を遂げらる。

 時に昭和13年3月31日午後1時25分なりという。何ぞそれ壮なる嗚呼希くは忠魂長へに加護

 を垂れ千歳の下皇基の守護たらんことを。

                                 川口市 第一校睦会


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日華事変・北支からの便りと写真帳(No,2) [写真]

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 近衛工兵連隊倉田部隊小山隊(第一小隊)隊長の陣中便りと写真帳
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石家荘・道路拡張工事1.jpg

  石家荘・道路拡張工事



北支-18.jpg

  石家荘・道路拡張工事の説明書き

  
   『 写真の裏書き 』

   これは第一現場の方です。

   有効幅員二十米、盛土斜面は全部煉瓦張り。現在大方完成。

             昭和十二年十二月十八日  太郎



北支-19.jpg



駱駝車.jpg

  

   『 小山 次郎様 宛 』

   今 石家荘に於いて都市計画に基ずく道路拡張工事をやっています。お手廻しのよいの

    には呆れます。また小山式の仕事が残ります。今度の仕事は一寸大規模で兵隊の仕事に

   は相当な大物です。苦力を百人使っています。土工量だけでも七百立坪(埋立て)、

   家屋(煉瓦造り)取り壊し無数と言っておきます

   日中零下八度。中空高く「アドバルーン」は「割共滅党新政府成立」と報じています。

   地には五色旗(上より赤黄青白黒)が戸毎に掲げられ、「慶祝南京陥落新政府成立」の

   アーチが各所に立てられています。

   坂倉の負傷は左手中、薬、小の三指が相当大きく、胸、大腿部は軽傷で元気である。

   自筆の手紙を寄越した。年内一杯には退院すると力んでいる。保定第三兵站病院 将校

   患者室坂倉理喜雄少尉で行くから見舞いを出すとよい。中に佐野上等兵戦死(実によく

   戦った。二十八人で敵二百をやっつけた。敵は死体三十八、軽機二、小銃十八、青龍刀

   多数を残して壊走した。)悼んで置いてくれ。

   鈴木信久君の隊号、田中さん御子衆の名を知らせて下さい。学校の皆さんによろしく。

                         昭和十二年十二月二十日  太郎



石家荘・循環新道.jpg

   『 写真の裏書き 』

   石家荘循環新路小山街 長さ三千米、幅有効二十五米 作業中 



北支-20.jpg



北支-21.jpg



北支-22.jpg



北支-23.jpg



北支-24.jpg



北支-25.jpg

   『 写真の裏書き 』

   小山街作業場にて



北支-26.jpg



北支-27.jpg



北支-28.jpg



北支-29.jpg

   『 写真の裏書き 』
   
   石家荘小山街の完成せる一部

   左の方に円をかいて見えるのが在来道路。前方水平に見えるのは北支随一

   軍用道路(但し在来)獲鹿街道 巾12.5米


北支-30.jpg



   『 小山 次郎様 宛 』

   二十日附航空便は二十三日に拝見。色々と有難う存じました。愈々今年も押つまったわけ

   ですが、こちらはそんな気が致しません。今も相変わらず道路構築です。一人で二現場

   持って苦力五百人も使役しています。景気がよいです。

   巾員側溝を含んで三十米、直線で三千米。なかなか面白くやっています。蓋し独り舞台

   です。新政府成立以来街はすばらしく活気を呈して参りまして、雑踏甚だしきものあり。
   
   各商店も一斉に「ショーウインドー」を飾りたてました。町には既に「日本語自習書」

   なるものを売っています。子供などは相当日本語を覚えて終いました。

   あと南京、済南間にある残敵を掃討するのが最後の戦いでしょう。陣中一同相戒め乍ら

   も時には凱旋話に花を咲かせる時があります。然し、この頃は一応観念してあまり調子

   が出ない様です。好い傾向です。

   正月には忙しくも飯能に行って、岡野や荒川、大和などを呼んで適当に願います。

   こちらからは年賀郵便は出せませんから各方面に宜しく願います。

   では御機嫌よく御越年を祈る。

                         昭和十二年十二月二十八日  太郎



   『 小山 次郎様 喜美重様宛 』

   謹賀新年

   遥かに北支陣中よりお二人の御多幸を祈ります。

   こちら門松も立て陣中には思いがけない立派なお正月を迎えました。

   皆一段の緊張を以って昭和十三年の初春を祝っています。

   寒さの折、ご自愛を祈る。

                    昭和十三年元旦  太郎

       

北支-31.jpg



北支-32.jpg



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533.jpg


                    
   『 小山 次郎様 宛 』

   年頭の祝辞は本日落手しました。十二月二十八日附(航空便)は一日に郵便局に着いて

   いましたが、元旦は局の取扱も休みで二日に入手。本年度の一番乗りです。

   二十五日附のお葉書は四日に着いています。こちらの元旦は相当なるものでした。

   五時に私は起きて先ず黙想。同室の笹生伍長と当番を起して軍歌(対匪行)の練習。

   六時、小隊全員を起床せしめ(起床時限は六時三十分)ました。七時四十分本部前広場

   に東面して整列、初日の出と共に捧銃。遥に皇居を拝し聖壽の萬歳を三唱し奉る。

   八時、本部に於いて幹部会食。お互いの健康を祝して乾杯。後は祝宴に還る。

   宴途中にして組(苦力を提供している組)に趣きて馳走になり、夕刻より日本料理店に

   出向き、夜は十時に帰りました。

   二日は夕刻より自室に匪族(中隊の呑助をかく称す)の襲撃を受け応戦、出動。結局

   十一時に及ぶ。

   三日より作業開始、昨日に至りました。

   昨夕、敗残匪討伐の命を受け明日より五日の予定を以って出発します。(私の小隊だけ)

   今晩は出陣の前祝で今(八時三十分)夕食を済ませた所です。十五日には現地に帰還す

   る予定。其の後は亦々前作業続行。

   来月は再び南方へ進出(先ず最後の行動でしょう)の予測です。

   坂倉は二十九日に包帯姿痛々しく無理に退院して来て終って任地唐河橋梁に行きました。

   まだ無理だと思うが、彼氏も張り切り屋だから仕方ありません。

   昨朝は零下十六度、地表は一尺五寸位凍って来ました。この分では二十度へは間近いと

   思います。三寒四温式の気候で、今日あたりから又温に廻りましたから討伐中は温かで

   済みそうです。帰って来たら又おたよりします。皆さんに宜しく。

   今日は珍しく十二時前に寝てしまいます。 いつも書物で十二時、一時になります。

   内地も厳寒の折、ご自愛を祈ります。

                           昭和十三年一月九日   太郎



北支-35.jpg

   『 写真の裏書き 』

   断崖上に立てる歩哨(討伐中) 一月十一日



北支-36.jpg

   『 写真の裏書き 』

   討伐に行きて堂々日章旗(私の寄書国旗)の下に立てる歩哨

   北杜村宿舎上  一月十二日



北支-37.jpg

   『 写真の裏書き 』

   北支には珍しい清い川 渉縣附近にて

   仔犬は第七代目飼い犬



北支-38.jpg

   『 写真の裏書き 』

   昭和十三年一月十五日 於石家荘

   敗残匪討伐より帰りて(右より板橋上等兵、小山少尉)



   『 小山 次郎様 宛 』

   十日から敗残匪の討伐に出かけて今夕(十五日)帰ってきました。

   「のれんに腕押し」その儘で完全にすっぽかしを食らってしまいました。
 
   十一日の晩は相当銃砲声旺んでしたが、これとて兵匪に出会ったわけではなく、毎度

   乍ら討伐では拍子抜けです。帰って来て、十一月十日付、一月七日付のお手紙を入手し

   ました。古い方のは袋が切れていたのに出雲大社のお札が半分出かかって、脱落せずに

   ありました。有難いと思いました。

   六日に飯能に出かけられた由、ご多用中有難う。岡野や荒川も喜んだ事とおもいます。

   戦場では工兵暇なしで、明日からは又 作業続行です。余り商売繁盛もいささか考え

   ものらしいです。

   討伐は無収穫でも宣撫で能率を挙げてきました。別れに臨んで根拠地にした村では、

   「太君去石門市 村人有惜別離

    恋々情難押 村人為太君不開路」

   と言って別れを惜しみ亦

   「村民人等知貴軍昼夜辛抱

    軍紀大規律欲與貴

    隊長送二個〇〇一遍

    額以揚大徳」

   と言っていました。其の中何か届けて来るようです。

   その揚句忙しい所を送別会を催されて、支那酒、支那料理の厚遇を受けて来ました。

   之も亦話の種です。

   坂倉は無理して退院。今は新楽橋梁についている。随って第二小隊半部亦我指揮に入る。

   これで現在二ケ小隊と、苦力五百人とを毎日こなす勘定です。

                        昭和十三年一月十五日

                              北支派遣加納部隊

                              倉田部隊小山隊 小山太郎
 

日華親善記念.jpg

   『 写真の裏書き 』

   昭和十三年一月十八日

   河北省獲鹿縣北杜村に於いて日華親善の記念として

   向かって左より

   熊谷上等兵、青木伍長、武田衛生兵、白世明、板橋謙治

   彦田上等兵、劉志仁、劉俊彦、小山隊長、橋本軍医、白世傑、笹生伍長



   『 小山 次郎様 喜美重様 宛 』

   十日附御書面本日落手。

   九日大広間大入り満員の盛況嬉しく存じました。

   今日は作業場から先日討伐の時宣撫した部落を訪問し、夜遅く帰って来ました。宣撫も

   愉快なもので、亦割に簡単に出来ます。但し、一々筆談で意思の表現が相当なものです。

   特に困るのは文字の使用法ですが、これが、内地の漢文流では不好的(ポスペン)です。

   然し、習うより慣れよで、書くだけは近頃名文句続出で、向う側が困る位です。

   まごまごすると損を踏んじゃったりして、我乍ら「甘いな」と感心する様です。但し、

   一番困るのはで飲んでる時、如何に酔っても、話は全て鉛筆に依る。其の外は、ただ

   「ウンウン」より外に手なしです。今日あたりも最後の挨拶は次の通りです。

    我們與貴村人相交僅再三日。

    然相親如斯。

    惜別太君之情難忍。約他日再会。

    由今我祈天貴村繁昌。

    人間別離是天也。

    要将来村人協力於我們建設

    東亜永久和平。招来民生幸福。

    我們既嚮貴村人厚遇将満肚。

    時既夕頃我欲辞村別

    石門市我們偶。謝々。

   かくて帰還の途に就けば村人老若男女、路に総出で、覚束なき挙手の礼をします。

   それもその筈、今日も又、軍医を帯同して施療をしてやりました。

   支那人には薬は実によく効きます。伝え話にある以上です。

   然も今回は「できもの」の切開手術まで施してやったのです。せむし。つんぼ。斯か

   る不治の難病でもアスピリン位で効力(彼等は神効という)を発生して終うのですから

   困ったものです。

   後の小宴で卵のどぶづけには閉口しました。味は良いですが、臭気相当なるものがあ

   ります。道路の方は凍結の為、なかなか進捗せず。

   坂倉は前便にも書いたと思うが、既に戦線にあり。

   最近の写真出来次第に送ります。

   小久保は金州の病院に護送せらる。但し、紀元節の頃までには全快する予定。

   今は恩賜の清酒を戴きました。隊員から(東京附近)お手紙の礼が毎日きます。

   「アドバルーン」は「改善庶政提高民生」と告げています。昨日は小雪。今日は黄塵

   萬丈。皆元気です。内地も今年は大分寒いとか。ご自愛を祈る。

                        昭和十三年一月十八日

                              北支派遣加納部隊

                              倉田部隊小山隊 小山太郎
 


   『母上様 かよ殿 宛 』

   其の後皆様お変わりありませんか。

   こちらは相変わらずです。去る十日から討伐に出かけて、十五日に帰ってきました。

   十六日に宮岡が尋ねてきました。十二月の五日に出した手紙が一月十二日に着いたと

   平沼保夫さんから返事が来ました。

   毎日例に依って、道路構築作業です。土が一尺五寸も凍っていますから、この頃は

   火薬を使ってはねかしています。写真を送ります。裏書きの通り届けて下さい。

   内地も今年はなかなか寒いとか。皆様御身お大切に。

                           昭和十三年一月二十日   

                                      太郎

                         岡野君、田畑君によろしく



北支-39.jpg



北支-40.jpg



   『 小山 次郎様 宛 』

   厳寒の候お変わりありませんか。こちらは相変わらず元気です。

   十九日に宮岡が尋ねて来ました。共に健在を祝し、大規模に飲みました。

   写真を送ります。大型の方一枚は飯能に届けて下さい。

   工事は地表凍結の為、進捗遅遅。爆破によって作業を続行しています。

   気温 マイナス十五、六度。一同元気よし。

   まだ送りたい写真がありますが、目方の都合にて後日に譲ります。

   ご自愛をいのります。皆様によろしく。


                    昭和十三年一月二十三日


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日華事変・北支からの便りと写真帳(No,1) [写真]

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 近衛工兵連隊倉田部隊小山隊(第一小隊)隊長の陣中便りと写真帳
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祝出征.jpg

  飯能町での出征兵士の見送り


東京駅発富士.jpg

  東京駅発富士にて征途に上る(昭和12年8月16日)


厳島神社にて.jpg

  途次、厳島神社にて戦勝祈願(右より坂倉少尉、小山少尉)


釜山閑野氏宅にて.jpg

  朝鮮 釜山府大新町 閑野作次郎氏宅にて(出水の為2週間お世話になる)


   『 写真の裏書き』

   この日、昭和12年8月31日。釜山北方約6Km洛東江口下端に遊び釣舟を出す。獲物鯛

   二尾、スズキ(一尺大)7,8尾、小鯛数十尾、ハゼ数百尾等々至極大漁なり。

   よって帰りて小隊幹部、有志を集め大演芸会を催し、牛飲馬食す。この席に於いても

   小隊長は亦、隊長の資格を充分に発揮す。後方に立てるは、前二週間御厄介をかけたる

   宿舎主、閑野氏御一家なり。この日使用せる酒七升。宿酔せず。 9月2日記す 太郎


   『 小山次郎様 宛て 』

   滞在実に二週(出水に依る。鉄橋故障。南満)愈々、当地発天津へ明3日午前と決定

   しました。当月中旬には戦線に立てそうで一同勇み立っています。 9月2日

釜山にて崔氏と.jpg

  釜山で交友を深めた崔浩範氏の見送り


天下第一関(山海関).jpg

  天下第一関(山海関)


   『 岩田祐一郎君 宛て』 

 11月15日お手紙正に本日(15日)落手。北支の月は冴えわたってあり。「そぞろに思う

 故郷の」というわけです。今日前線からここ(石家荘)に引揚げて来たところです。

 前文(賛皇から)と重複するか知れないが総括的にお知らせします。(時々気分を出しま

 すよ)大野、沼崎、栄ちゃんなどにも見せて下さい。一般地図では判らない地名もあるで

 しょうが、適当に位置を想像すること。


 9月11日 永定河攻撃戦開始。第14師団、第6師団は各固安左右両翼に於いて敵前渡河

      計画。


    14日 渡河前進するも固安は落ちず。


   15日 暁の大爆撃。この時私は部下小隊を率い黄村5時行軍にて発、西紅門に自動車隊

      救援に 赴く時、この爆撃空軍南苑飛行場方向より来るに逢い思わず快哉す。


北支ー11.jpg

   16日 永定河上流(といっても豊台付近)に出で南進固安に向かう。左岸堤防上を前進

      (ここにて15日我が第二小隊戦斗負傷者を生せり)その日は6キロの行軍。うち

      の兵隊は前田の政ちゃんみたいな老人が多いからあごが相当出た。然し、第一回

      戦だからみんな緊張。右岸には盛んに機関銃の音、重砲の響き。その夜は石袋村

      にて村落露営。夜半屋上より眺む。

      朝来の砲声益々盛んなり。部落には人影なし。我が歩哨の銃剣の光ものすごし。


北支ー12.jpg


  17日 早暁固安流石に陥落(この事は後で知る)。我らは楡垡鎮に至り、この日は午後に  

     行動を停止す。大毎記者命からがら逃げ来たりたるを収容。


  18日 前日我(当時私の小隊は独立小隊として山本部隊にあり)騎兵によりて偵察せられ

     たる固安城内の状況変化(17日夜敵残兵場内に潜入の形跡あり)の為、小隊を率い

     再偵察を命ぜられ、担架携行固安に前進す。場内閉ざされて入るを得ず。よって崩

     れたる城壁を登り、場内に入る。城壁上敵屍累々、流血を渉して場内に入る。重厚

     大建築物は悉く爆撃せられ、場内の光景惨たり。また敵屍累々たり。人影なし。

     凡そ白昼(夜は更なり)人影なき市街ほど薄気味なるはなし。場内隈なく捜索する

     も異常なく直ちに報告の為一部を引致して楡垡鎮に向かう。

     前方に銃声あり。即ち我が輜重隊と残敵と交戦中。間もなく止めり。

     報告を終わりて部隊入城警備につく。住人僅かに戻り来る。かくて固安生活三晩に。

 
  21日夜 固安発保定に向かう。途中敵襲ありしも幸い異常なく23日徐水着。


  24日 偵察の為保定へ向かう。午前7時50分、保定一里手前八里営着。目下大激戦中

     なり。

     第6司令部に連絡。その結果、この歴史的なる大決戦観戦の好機を得たり。

     8時15分、北城門重砲の為に破壊。歩兵の一部は人梯を以って突入を試む。

     9時15分、第14師団南及び南西の敵、退路を遮断。仝時第6師団攻撃前進開始。

          突撃。乱闘。仝45分遂に北城門上日章旗飜れり。

          萬歳。我が小隊は直ちに師団司令部と共にこれ等第一線部隊に魁て

          光輝ある保定入城をなす。

          途中見よ。皇軍勇士の名誉の戦死しある者尊きを。涙も遂に涸れ果て

          たり。宜なりこの一戦、第6師団の拂へる犠牲無慮一千五百。

          師団司令部は乗馬。我らはトラック。(新聞記者、大毎、東日、大東、

          朝日、報知、読売等は皆我が自動車に便乗せしめ、これが従軍記者の

          第一陣。従って真の涙の入城の写真はない。

          保定入城は翌日の写真が多い)入城後、私の方は直ちに西門を出て

          停車場に向かう。停車場を突破して構外にて敵の機関銃に見舞を受け

          た。弾丸なんてそんなに当たるものではない。

          まぐれ弾がこわいのだ。夕刻までに任務の偵察を終わり駅付近に

          村落露営す。(是の所が読売の写真)翌日更に残敵掃討。獲物は二匹。

          銃剣で。

保定停車場にて.jpg
   
  保定停車場の小山隊(読売新聞に掲載の写真)


  保定に三日、半ケ小隊を引致して定縣に前進。30日保定が敵の空襲を受け、残半ケ小隊の

  設置地(場外)より150米程の所にて高射砲隊やられ21名戦死。砲一門もやらる。時々

  この頃は、敵の飛行機も味を見せる。定縣より新楽。ここでも空襲を受く。保定にては

  取り逃がしたが、茲にては高射砲にて射止めたり。機尾より煙を噴いて真一文字に落ちる

  景色を想像せよ。

  定縣へ前進の際清風店駅付近にも一機射落とされたるがあり。


北支ー13.jpg


  東長壽、正定の後方勤務、太原攻略につき昔陽支隊の為、前進路構築の為元氏に前進。

  茲にて友軍和田工兵部隊がやられ、こちらが救援に一ケ小隊で勇敢に飛び込んだ。

  情報では敵は一ケ師団という。和田部隊も偵察隊だから70名位、こっちは高々一ケ小隊、

  無茶なようだが小山式では、だまって見殺しは出来ない。和田部隊は四人の将校のうち

  二人を失ったという。

  元氏から賛皇まで5里、こちらが知ったのは四時半。現場迄は行かれるか、出来るだけ

  自動車をすっ飛ばしてみたが、支那の悪路では着いた時は既に夜。尤も夜でよかった。

  あとで知ったのだが城のすぐそばまで行って、敵の話し声の聞こえる所までどんどん

  行っちゃった。敵も気が付かなかった。和田部隊の重傷者を収容しなければどうにも

  ならない。真暗でもあかりは禁物。部隊長和田中佐とも連携を取って力をつけなければ

  ならない。敵が後方遮断に出たという。そっちも警戒。人員が少なすぎて、これには流石

  に困った。漸く和田中佐が引揚て来たのに出会う。死体はどうにも収容出来ないと云う。

  止むを得ず其の儘後退だと云う。

  私なら死体の置き去りはしないつもりだが、本尊様がそう云うんだから仕方がない。

  その晩はその儘にして翌日砲兵の来援、歩兵の来援待って賛皇攻撃となった。この城は

  実に要害堅固なり。岩山の上に城、下が河原(この河原で和田隊がやられ、ここの川に

  私の手で架橋、血桜橋と命名)砲兵無くて攻撃は不可能。

  愈々、中一日於いて攻撃してみると、敵はもう大方退却していない。直ちに占領、

  29日入城。シャクに障ったと見えて和田隊が火をかけ、毎日毎日場内は火事。

  時々こっちの宿舎まで危い騒ぎ。


北支ー14.jpg


  賛皇から先は山西の山つずき、正丸峠みたいな全然道の無い所を自動車を通らそうという

  工事にしびれた。工事の帰りは敵襲とくる。山の峯から峯から下に賛皇城を見下ろしなが

  ら、赤い夕日をあびて自動車にて賛皇に帰還の時の光景。即ち「トーキー」を見る様だ。

  その中、敵の後方撹乱益々盛んとなり、遂に石家荘(軍司令部所在地)が危ないという

  騒ぎで直ちに石家荘に引上げ、ここの防塁工事。壕や鉄線網をいくら作ったことか。


北支ー15.jpg

   
  11月の18日には雪。丁度その頃は西飛行場で工事中(石家荘西方三里)太原を包む山々

  銀に輝きてあり。その景色の雄大なること句に絶す。重爆はその中を機翼連ねて洛陽爆撃。

  或いは太原方面に。今では重爆だけの編隊で行く。すっかり支那空軍をなめている。

  朝日の朝風号も微発をくらって来ている。大体陸軍は新式は持っていない。


  11月24日 黄河作戦の為邯鄲大名に前進。架橋、残敵掃討。第一線百八師団、十四師団は

       大名にて鳴りを潜めて待っている。愈々、宋哲元軍掃討戦は12月7日火蓋を切

       る。重砲数十発にて簡単に敵兵二万は武装解除。気の乗らない事ひどすぎる。

       歩兵は完全に失業。邯鄲では歩兵は運動会だ。


  今日また石家荘へ引揚げてきた。私の中隊第二小隊が定縣、新楽あたりでやられた。

  戦死は上等兵一名、その他一切状況不明、第二小隊長は私の戦友坂倉君。心配でならない

  がどう仕様もない。これから何をするか、どっちへ行くか今日は未だわからない。然し

  十日に南京もおちた。お手紙の通り先ず北支は一段落、後は残敵掃討だが、これが問題だ。

  弱いとみなければ出てこない敵だから困る。軍刀にも賛皇で刃こぼれが出来た。

  あとは支那人一般の状況になるが、これは省く。大体、支那人民は戦禍には慣れて諦めが

  良い.。良く日本人の為に働く。日本語も大分使うようになってきた。(子供は特に)


北支ー16.jpg

汽車移動.jpg


  今こちらは零下七度程度。内地で考える程ではない。天津あたりは暑いそうだ。

  私たちは皆んな元気です。ご安心下さい。青年学校の連中にもよろしく。寒いし、国家

  非常時だし、年の暮れだし、なかなか大変でしょう。ご自愛ご奮闘を祈ります。

  おうちの皆さん、親類中の皆さんによろしく頼みます。こう書いて一々お知らせすること

  は出来ない。終りに今夜の石家荘はとても良いお月様が出ています。名物犬(支那には犬

  が多い)の啼き声も聞こえず夜は更けています。       

                           昭和12年12月15日午後12時半   

                              北支派遣加納部隊本部
                               倉田部隊小山隊 小山太郎
                       
   

   『小山次郎様 喜美重様 宛』

  11月8日附仝27日附(航空---11月29日石家荘着)昨日落手。楽しく拝見しました。

  お目出度う。簡単に祝辞を述べます。保坂の皆様にもよろしく。 

  まだ邯鄲にいます。北支随一と自他共に許す架橋を今日終わりました。欄干も立派に付けま

  した。二度とこんな立派な橋は架けられないでしょう。「靖国橋」と右の柱に「昭和12年

  12月10日(私の誕生日)竣工近工倉田部隊小山隊」と左柱に刻り付けてあります。

  この所、連続してよく作業に奮闘しましたから明日は休養を実施したく考えています。

  陣中で部下と共に誕生を祝いたいと考えています。

靖国橋竣工記念.jpg

  靖国橋架橋完成記念(邯鄲)


  明日は丁度、軍楽隊の演奏もあります。まるで私のために来たようなものです。

  邯鄲夢の枕というから、ここでは余程よい夢を見るかと思っているが、てんで夢など見る

  間がない。枕にしてしまうから見えないのかも知れません。黄河攻撃は七日に始まり久し

  ぶりで砲の音を聞いたが、音の途端に敵は二万も武装解除したとか。真に張合いのない

  戦争となって終いました。陣中では年賀状は取扱はぬ事になりました。

  先日こちらに来る時小包を受け取りましたが、中に岡野、荒川、大和、小川代等の尽力と

  思いますが、百五十名ばかりの署名入りの国旗が這入っていました。(今部屋の壁にかけ

  て毎晩眺めています)大阪の辰夫君の署名(遥かに大兄の御武運を祈る 菅原辰夫)や

  田畑の(神かけて凱旋の日を待っているぞ 田畑陽)など特に懐かしく思いました。

寄せ書日章旗.JPG

  寄書き日章旗


   『写真裏書き』

   昭和12年12月11日 於邯鄲

   一番上に翻っている国旗が先日送って頂いた皆様お心盡しの日の丸です。

   坂倉第二小隊長が一昨日の戦闘で名誉の重傷を負うた。詳細は不明。私の方は即日

   石家荘に帰る。一同無事。                  12月13日 太郎 



  近頃は防寒具で皆んな「ダルマ」のように丸くなっている。寒さは零下7度内外ですが、

  湿度の関係か寒暖計ほど寒くないのが不思議です。

  部下一同については実によくやってくれます。とても現役兵などの比ではありません。

  皆んな子供の3人以上もある老勇士です。朝の集合なども8時と命じてあるのに7時半

  にはすでに軍装をつけて出かけます。また父兄達からは、よく手紙や状況報告やら来ます。

  一番よいのは兵の子供等の便りです。その外、誰に手紙が来ても皆んな読んで聞かせてく

  れます。小山福太郎君の戦死についても皆んな「くやみ」を述べてくれました。

  炊事では、私の分だけ別に飯を炊いて呉れるし、ひと工面の酒を飯盒に一杯づつは必ず届

  けて寄越します。(但し炊事に加給品のある時だけ)中隊中一番の生活です。中隊長には

  気の毒みたいですが仕方がない次第です。

  賛皇で手に入れた敵の太鼓を未だに持ち廻って(かくて荷物は増える一方、青龍刀、

  機関銃、鋒槍、バタヤの如くにガラクタを持ち廻っている)時折、賑やかに騒ぎます。

  軍歌も皆んな上手に(老人だから新規練習を要する---軍歌集を送れたら頼む)なりました。

  「ああ戦友」「慰問袋」---これの節は「ああ戦友」で歌っている---など良い歌です。

  「ああ戦友」は出征の時、朝鮮の大邱の女学生に歌って貰って感激の涙をこぼした歌だけ

  に誰もが習いたく、この頃、漸く皆んな中の記憶を結合して纏めたものです。

  話は涙、涙に戻り変ですが、歌で感激では釜山の内鮮児童達の軍歌でした。小さい国旗を

  打ち振りながら「戦友」「皇軍の歌」を唄って歓送してくれました。

  聖上からお煙草も戴きました。慰問袋も一度預けて貰いました。子供の絵、紙フーセン、

  色々のものが一同を喜ばせました。

  既に気の早いのは凱旋の日の村人への挨拶の文句を私に作らせ、早速練習を初めて拍手を

  受けています。第二分隊など全員卒業して終いました。実に無邪気で元気です。皇軍の強

  さです。然し、邯鄲へ来てからは凱旋熱はすっ飛んでしまいました。

  今居る家の要図を書きます。幾分陣中の様子を御想像下さい。まんざら悪くないものです。


北支ー17.jpg

  今居る家の要図



   学校の皆さん、小泉さん、田中さん、課長さん、桃林堂さん、御一同様によろしく。

   名古屋さんも御壮健です。やはり忙しい様です。

                              12月9日午後12時10分  太郎


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近衛工兵大隊1年志願兵の営活写真帳(No,3) [写真]

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近衛工兵大隊 大正15年度1年志願兵の営活写真帳(その3)
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No,75
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No,76
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No,77
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No,78
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No,79
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No,80
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No,81
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No,82
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No,83
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No,84
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No,85
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No,86
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No,87
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No,88
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No,89
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No,90
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No,91
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No,92
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No,93
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No,94
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No,95
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No,96
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No,97
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No,98
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No,99
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No,100
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No,101
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No,102
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No,103
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No,104
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No,105
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No,106
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No,107
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No,108
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No,109
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No,110
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No,111
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No,112
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近衛工兵大隊1年志願兵の営活写真帳(No,2) [写真]

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近衛工兵大隊 大正15年度1年志願兵の記録写真帳(その2)
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No,37
画像-42.jpg

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No,38
画像-43.jpg

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No,39
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No,40
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No,41
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No,42
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No,43
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No,44
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No,45
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No,46
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No,47
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No,48
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No,49
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No,50
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No,59
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No,61
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No,64
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No,71
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No,73
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次回に続く











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近衛工兵大隊1年志願兵の営活写真帳(No,1) [写真]

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近衛工兵大隊 大正15年度1年志願兵の営活写真帳
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日華事変で戦死した叔父の小山太郎が1年志願兵として大正14ー15年に赤羽の

近衛工兵大隊に入隊した時に撮影したスナップ写真です。

写真撮影は川越中学在学中からの趣味であり現像も自分でやっていたようです。

ピンボケしている写真もありますがアルバムの順を追って掲載させて頂きます。

写真の説明は残念ながら分からないので出来ません。

写真の枚数が多いので3回に分けて掲載致します。

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No,1
画像-248 .jpg

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No,2
画像-01.jpg

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No,3
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No,4
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No,5
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No,6
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No,7
画像-06.jpg

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No,8
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No,9
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No,10
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No,11
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No,12
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No,13
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No,14
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No,15
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No,16
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No,17
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No,18
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No,19
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No,20
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No,21
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No,22
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No,23
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No,24
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No,25
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No,26
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No,27
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No,28
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No,29
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No,30
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No,31
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No,32
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No,33
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No,34
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No,35
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No,36
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